「気づいたら、私は民の高貴な人の車に乗せられていました。」 雅歌 6章12節

「高貴な人の車に乗せられていました」との表現を読むと、預言者のエリヤが、列王記第2の2章12節で、エリシャの目の前で、天から現れて火の馬と火の戦車に乗せられて、天に上って行った場面を思い起こします。
今日の箇所では、続く13節に「帰りなさい、帰りなさい」との表現が繰り返されて、合わせて4度「帰りなさい」と語られています。
エリヤが預言者として苦難の道を歩み通して、最後には主によって天に上げられて、エリヤが本当に居るべき幸いな場所へ連れ去れれたように、ここでも同じことがあるのだと思いました。
愛する人は、ただ一人の存在として、迎え入れられて行くのです。
どこに居ても、何をしていたとしても、その歩みは見守られ、導かれているのです。

ここでは「高貴な人」と表現されていますが、それはただ身分が高いということで終わりません。
ただ一人の大切な人なのです。
愛する人もただ一人、何十人もの王妃と何十人もの側女がいても、愛する人はただ一人なのです。

私たちも、小さな存在なのですが、主はまるでただ一人しかいない愛する人と、私を見てくださっています。
私は、もちろん、唯一の主を、見上げて信じています。
1対1の関係を築いた愛する人が、愛を語り、相手を慕い求めているのです。
私たちも、主だけを慕い求めて声を上げて祈りましょう。

シャローム