「神はこの聖霊を、私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」 テトスへの手紙 3章6節

3章は、キリスト者が日々良いわざに励むように命じます。
2節では「だれも中傷せず、争わず、柔和で、すべての人に礼儀正しい者となる」ように命じます。
これは守るのには、なかなか、いえ、かなり難しい命令です。

しかし、主イエスを救い主と信じる以前の私は、まさにこの2節とは真逆のことをしていた者です。
人を傷つけるようなことばを吐き出し、競うどころか争いを好む者で、頑固で自己中心であり、礼を失った行動をとるようなこともありました。
それこそすべての人にではなく、人によって態度を変えることもあったのです。

しかし、今、そうではない行動をしようと、忍耐と愛を持って行動を始めています。
それはここにある通り「聖霊が豊かに注がれている」からです。

注ぐ、注がれるというのは、キリスト者にとって大切なことです。
サムエル記の第1、1章でハンナが苦しく悲しい心を、すべて主の前に注ぎ出して祈ったとき、主は豊かに顧みてくださいました。
ハンナの祈りに大いに答えてくださいました。
心を注ぎ出す祈りは、主に届きます。
注ぎ出す時には、隠すこともなく、取り繕うことも必要がないからです。

主から注がれた聖霊は、私を作り変えてくれます。
それは私にはできないことをできるようにするために、聖霊が私の内側から導いてくださるからです。
注ぎ出した祈りのように、注がれた聖霊が私に答えを与えてくださる。
ですから私は、3章で命じられることをできないとは言わないで、祈りを注ぎ出しながら聖霊とともに行動します。

シャローム