「その日、万軍の神、主は呼びかけられた。「泣いて悲しみ、頭を剃って粗布をまとえ。」」 イザヤ書 22章12節

主は、愛する者たちに呼びかけられました。
泣いて〜と、このことばは、自分の罪を悔い改めて、主の前に進み出て静まることを指しています。
主の愛を忘れ、主のことばも忘れて生きている民に主が、あわれみを示されたのです。
ところが続く13節を読むと驚かされます。
この主のことばを聞いた人たちは、悔い改めることをしないだけでなく、もっと悪いことをします。

浮かれて楽しみ、祝宴をおこない、ぶどう酒を飲んで声を上げます。
どうせ明日は死ぬのだと、叫ぶのです。
主が示されたあわれみの御手を無視して、悔い改めることをしません。
そしてどこまでも浮かれて、罪を重ねるばかりです。
助けを諦め、救いを諦めているのではなく、主のことばを聞きたくないのです。

彼らには聞く耳がないのでしょうか。
彼らには主に期待して、主を頼りとすることがないのでしょうか。
でもこれが事実です。
主が呼びかけてくださっているのに、彼らは聞きません。聞こうとしないのです。
苦しみ、悲しみの中にあっても、彼らは主のことばを聞きたいと望まないのです。

私たちは、聞きましょう。
泣いて悲しみ、立ち止まって聞きましょう。
頭を剃って粗布をまとい、主の前に膝をつき、静かに主の声を聞きましょう。
聞く人は、救い出されて祝福を与えられるのです。

シャローム