「その日、人は自分を造った方に目を留め、その目はイスラエルの聖なる方を見る。」 イザヤ書 17章7節
ここ7節では「目を留め」「見る」と、繰り返します。
そして続く8節では「目を留めず」「見ない」と、やはり繰り返します。
イスラエルの人が、この時、目を留めるのは、人を造られた創造主である方、真の神です。
目を留めた人の目は、はっきりと真の神、聖なる方を見るのです。
そしてその時には、これまで真の神を捨てて、自分たちの手で作った偶像の神々を刻んだ像には、目を留めることがなくなります。
その人の目は、もう偶像の神々の、それが巧みに造られた立派な像であっても、もはや見る価値を失い見ることは無くなっているのです。
イスラエルの人々が、罪に惑わされ、迷い彷徨って、真の神様から離れていましたが、今は、立ち返ったのです。
それも主のあわれみと導きがあったからです。
主は、主に敵対し、イスラエルを苦しめてきた敵を打ち砕き、滅ぼしました。
そして何も無くなったところから、イスラエルの人々を再び立ち上がらせて、もう一度恵みを与えてくださるのです。
その時、人々はようやく主の愛の深さ、大きさに気が付き、主に立ち返って、主に目を留め、主を見上げるのです。
主のあわれみと忍耐は、これほどまでに大きいのです。
私は、この方から目を離しません。目を留め続けます。
シャローム
