「また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のゆえにささげ物を献げなければなりません。」 ヘブル人への手紙 5章3節

ここでいう弱さとは、アロンとその子孫たちが任命されている大祭司の弱さであり、それは大祭司も「原罪」を持っているということです。
そのため大祭司は、最初に自分の罪のためのいけにえを献げてからでなければ、大祭司の務めを果たすことができないのです。
罪を持っている人の大祭司では、ささげ物を献げた後でなければ使命を果たせないのです。
しかもそのささげ物は一度では終わりません。
毎年、毎回、献げなければならないのです。

それに対して、父なる神によって任命されて天から遣わされてきたイエス様は違います。
罪を持っておられません。
また、地上の人生においても、ただの一度も罪を犯したことがありません。
罪のない方が、真の大祭司となられたのです。
そしてイエス様はいけにえの動物を犠牲にして献げる必要がありません。
罪のないご自分の身体、ご自分のいのちを、献げるからです。

ですからイエス様は「民」のためだけに献げ、そして贖いの業を完成させることができたのです。
アロンの子孫の大祭司が毎年、いけにえを献げなければならなかったのに、イエス様は、ただ一度、ご自分を献げて完了しました。
完了しているので、この贖いの業は完全なのです。

シャローム