「彼は主の目に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩み、ヤロブアムがイスラエルに犯させた罪の道に歩んだ。」 列王記 第一 15章34節

「ヤロブアムの道」と繰り返されるていることとは、主だけを信じて、主のことばに従うことをしなかったことです。
それが「主の目に悪であること」と同じ意味であり同じおこないを指しています。
この二つの表現が繰り返されて、王の罪が強調されます。
しかもそれは王一人の罪では終わらないで、北イスラエル王国のすべての民に同じ罪を犯させてしまうのです。
王の罪とは大きいのです。

15章は、北イスラエルの王を中心にして、このように主の前に罪をおこなったことが示されます。
34節の表現は繰り返して記されていて、王たちの罪がいかに酷いものであったのかが示されます。
酷い罪が繰り返されているのです。

王の行った治世の内容は、「王の歴代誌」に記されているとだけ示されていて、良いおこないをしたのか、失敗した政策があったのかを問いません。
最初に主の前に、主を信じて歩んだのか、最後まで主の前に、主のことばに従って歩んだのかが問われるのです。
それが大事だからです。
その人の歩みは、その人の周りの人にも広がっていくのです。

王にならなくても、一人の信仰者として、最初から最後まで、主の目にかなう、主のことばを聞くことができる私であり続けたい。

シャローム