「私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。」コリント人への手紙 第2 4章17節

詩篇などで用いられる奇麗な表現で、私たちが受け取っている恵み、祝福というものの素晴らしさを教えてくれます。
「一時」と「永遠」を並べます。
「軽い」と「重い」を並べます。
「苦難」と「栄光」を並べます。
こうして、3つを比べることで最高に素晴らしいものを教えてくれます。

キリスト・イエスを信じた人は、その恵みを語ります。
受け取った恵みの喜びから、語らずにはいられませんし、主が語るように命じ、促すのです。
ですから喜び語ります。
その時、世の人々から迫害を受けることが有り、困難も経験します。
それは時に、死にまで至る危険です。
これを語るパウロは、これまでにもそのような危険を経験しました。

それは軽い危機や迫害ではありませんでした。
しかし、パウロは軽いと、言い切ります。
その結果、身体は痛めつけられて、いつそこから救い出されるのか分からないときもあったはずですが、パウロはそれを一時だと、言います。
そして一般的にみれば、それはひどい、とても酷い迫害や危険を軽いと言えるのです。

何故なら、永遠の命の約束を受け取り、主イエスと再会し、イエス様から直接祝福され、慰めていただけるという、確かな約束を受け取り、それを失うことがないからです。

今、既に受け取っている恵みと、これから確かに受けとる祝福と慰めが「重く」「永遠」「栄光」だと、知っているので今の状況がどれほど厳しいものであっても「一時」「軽い」「苦難」と言い切り、比べられないほどの平安と喜びの日々を生きているのです。

そして、この平安と喜びは私たちも受け取っています。
知っていたでしょうか。味わっているはずです。

シャローム