「自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会を世話することができるでしょうか。」テモテへの手紙 3章5節

教会の監督、執事になる人の資質について教えます。
教会のかしらはイエス様です。
しかし、教会が世に在って、イエス様の福音を知らせることと、集っている人の信仰が成長するためには、教会という身体を維持し、教会そのものも成長しなければいけません。
そのためには指導者が必要です。
しかし、その指導者は、自分自身でよく働き、みんなの世話をする人でなければなりません。

教会の監督や執事は、指揮者の働きだけではないのです。
誰よりも人々に仕えて、動く人なのです。

その人は、普段から妻を愛し、家族を愛して、家庭を治めることができている人なのです。
監督や執事は、名誉職ではなく、実働する人です。
みんなに仕えることを通して、信仰がきよくされて成長できるのです。

私たちは、一人一人が遣わされているそれぞれの家庭で、父として或いは子としての使命を果たし、教会での、大切な職務をおこないたい。
それがイエス様に喜ばれる信仰の歩みとなり、自分の喜びとなるのです。

シャローム