「イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。」 ヨハネの福音書 2章7節
イエス様が最初のしるし(奇跡)を行われて、救い主としての栄光をあらわされたことで知られている、カナの婚礼の場面です。
当時の結婚式とその祝宴は、一週間続けられたと言われます。
また、招待状が送られて、決まった人数が出席するのではなく、町の人たちが自由に出席してお祝いをする形であったとも言われます。
そのような状況でもてなしをする食事と飲み物を用意するのは大変であったと、想像します。
この時、母マリアはその準備を取り仕切る裏方の大切な奉仕をしていたのでしょう。
そして大切なぶどう酒がなくなりかけるという問題を抱えてしまった母マリアです。
慌てて、息子であるイエスに声を掛けます。
近くの市場に弟子たちと行って、ぶどう酒を手に入れられないものかと、考えて焦って声を掛けたのかもしれません。
この有名な出来事は、一読するだけでは、イエス様が母マリアに「女の方」などと答えて、ずいぶん冷たい、突き放したような対応に見えることでも、私たちを驚かせます。
しかし、イエス様は母に、落ち着いてくださいと、言っているようでもあります。
同時に、救い主としての使命と、その特別な時のことを母と弟子たちに示されたのも事実です。
今朝、思うのは、給仕する人たちの心と行動です。
イエス様に命じられるまま、水がめを水で満たします。
その水がめの量は、120リットルと、言われます。
井戸から、水を汲み上げて、120リットルの水がめを満たすのは、大変な作業、労働になります。
何のために今、水を汲むのか、水をこの後、どうするのか、足りなくなったぶどう酒はどこから用意するつもりなのか?
「?」疑問や不安がいっぱいの心で、それでも誠実に水を汲んだ彼らは、それが一瞬の内にぶどう酒、それも最高のぶどう酒に変わったことを目撃して、驚きを超えて、もしかする恐怖したかもしれません。
ぶどうの木を大切に育てて、その実を収穫し、つぶして、発酵させて、ようやく葡萄酒になるのです。なぜ、自分が汲んできた水が、ぶどう酒になるのか。
あり得ないことが存在した。
そして、ぶどう酒が足りなくなって、困る人、恥をかく人、悲しむ人は一人もなくなり。
良いぶどう酒を受け取って喜ぶ人、褒められる人、楽しむ人がいるのです。
主イエスを信じて、苦労することを逃げないで、主のことばに誠実に最後まで従うならば、その人の周りには、喜びと驚きが生まれていくのです。
私たちも、結果が見えないようでも、主イエスのことばに信頼し期待をして、労することを惜しまない人になりたいものです。
主イエスは、いつも私たちに恵みと喜びを与えてくださる方なのですから。
シャローム
