「私は、この都の中に神殿を見なかった。全能の神である主と子羊が、都の神殿だからである。」 ヨハネの黙示録 21章22節
3節では、旧約のレビ記26章11節から引用して「神の幕屋が人々とともにある」と声が響いています。
そして、22節では、この新しい都には神殿が見られないのだと、教えています。同じことを語っています。
終末の時には、新しいエルサレムが降ってきますが、そこは主が信仰者といつもともにいてくださるのです。
信仰者は、もはや限られた時間と、限られた場所でだけ主を礼拝するのではなくなるのです。
いつも主がともにいてくださり、信仰者の新しい都での生活は、常に主を礼拝し、主ととも生きる生活となっていくのです。
私たちが、飢え乾いて主を求めて祈り、礼拝をしようとしなくても、よいのです。
何故なら、主が、この新しい都を備えてくださり、主が私たちとともにいてくださるのです。
信仰を与えてくださったのは主です。
礼拝する場所を備えてくださったのも主です。
ここ22節にある通り、神とイエス様が神殿そのものである新しい都に、信仰者は移されて生きるのです。
そこで生きることがそのまま礼拝であり、賛美となり、主とともに生きる喜びの日々です。
神殿はない。しかし、神殿は確かにある。神殿はいつもある。
私たちは今、目にみえる神殿や礼拝に囚われないようにして、主を見上げて主とともに生きることを大切にしたい。
シャローム
