「もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。」ヨハネの手紙 第1 1章10節
私たち人は、例外なく神の前に罪のある者です。
神に造られていのちを与えられて支えられているのに、最初の人であるアダムから始まってすべての人は、神に背を向けて生きてきました。
造られた存在であるのに、自分で自分のいのちを造り、支えることができると考えていたのです。
主の愛を知らず、主の力も知らず、主の前を主を愛して生きることも知らなかったのです。
そんな私たちが、自分は正しい、自分には罪がないと言うのなら、それは私の罪を指摘する神が偽っていると、神を罪人と呼ぶのと同じことです。
それは神の前に罪を二重に犯す行為であり、悔い改めることも謙遜になることもない罪の心です。
では「私のうちには神のことばはありません」とは、どういうことでしょうか。
イエス様の語る神のことばを聞いても、自分の心に留めることがまったくない人の状態です。
この人には、活きている神のことばも単なる音、黒いインキのシミのようなものになってしまっています。
自分の正しさを誇るよりも、自分の罪を認めることができる人でいたい。
罪人だったけれども、神に愛されていることを知った私として、神の前を生きていたい。
シャローム
