「神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。」ペテロの手紙 第1 3章17節

主のみことばは、正しくて愛があります。ですから私たちは、みことばを聞いて、従順に従いたいと願っています。
そのように求めて行動をしたいのです。
しかし、ここに示されていることを実際の生活の中で実践するのは難しいと感じます。

私の生活の中で、苦しみを経験するのは嫌なのです。できれば避けたいのです。
しかし、聖書はキリストを信じて、キリストを愛する信仰者は、イエス様が経験をされたように苦しみを経験するのだと語ります。
ただ、この苦しみには意味があります。
善を行って受ける苦しみなのです。
善を行なっても、賞賛されて良い物を受け取るとは限りません。
むしろキリストに従う時には、善を行なったとしても苦しみがそこにあるのです。

悪を行なって苦しみを受けるならば、その先にはさばきと滅びが待っています。
けれども、善を行って受ける苦しみの先には、主が迎え入れてくださる恵の場所が備えられています。
善を行った時に受ける苦しみには、意味があるのです。私には分からなくても、そこには神のみこころが働いています。
神のされることには、無駄なことは一つもなく、私には益となるものなのです。

苦しみを受けるのは嫌です。その心を否定する必要はありません。
けれども私が善を行って受け取る苦しみは、神は知っていてくださり、その苦しみを必ず良いものへと変えてくださる。
私たちは、少なくても苦しみの最中でも、神は知っていてくださるのだということを忘れないで、恐れることなく善を行い続けましょう。
神は、いつもキリストを愛して、善を行う人と共にいてくださいます。

シャローム