「神のことばと祈りによって、聖なるものとされるからです。」テモテへの手紙 第1 4章5節

惑わす者が現れて、信仰者を惑わし苦しめるので注意するようにパウロは若いテモテへ教えます。
そして、そのような惑わしに備えるために、鍛錬をするように命じます。
その鍛錬は、肉体を鍛えることではありません。
自分の信仰と、その信仰によって支えられる生活を鍛錬していくのです。
肉体の鍛錬であっても、身体の各部位を繰り返して鍛えることで強くなり、また、しなやかな身体にもなるでしょう。
そして鍛えられ整えられた人の身体は、他の人からもそれと分かるようになります。

信仰も同じようなことが言えるでしょう。比喩できます。
鍛錬された信仰は惑わされることなく、聖なる信仰へと成長するでしょう。
そしてその信仰は証しとなって、周りの人にも良い影響となって広がります。

信仰の鍛錬は、走ったり、器具を使って身体に負荷を掛けて鍛えるものとは違います。
日々絶やすことなくみことばを聞いて、主に祈りをささげることで成長します。
そうして主の聖さに近づくのです。

身体の鍛錬も1日さぼれば、取り戻すのに3日かかるとも言われます。
私に必要で聞くべきみことばは、その日その日に新鮮な相応しいみことばがあります。
前もって貯めておいたり、後で余分に多く聞くということはできないのです。
祈りもまた、日々、丁寧に積み上げていく祈りの心とことばが鍛錬となります。

惑わしに出会う前に、みことばと祈りの備えを、喜びつつしておきたい。

シャローム