「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」 ローマ人への手紙 7章24節

文頭でいきなり「本当にみじめな人間です」と声を上げますから、驚きます。
自分のことを「本当に」とまで強調して「みじめ」だと語るのです。
でも、それは自分のことを卑下したり、自分に絶望して嘆いているのではありません。
むしろその逆です。
本来ならば惨めな存在として滅びへと向かい、その上、そのことに自分では気がつくことができなかったのです。
それが今、イエス様の十字架の愛を受けて、そのみじめな自分を認めた上で、それをイエス様に解決をしていただいたのです。
それを知っている、信じていますから、過去の自分、解決したみじめな自分のことを明らかにできるのです。
明らかにした上で、今の自分自身を証しするのです。
それくらい、今の喜びと平安が大きいのです。

今は、イエス様を信じることで罪が赦されて、義とされ、神に愛されている存在であることを知っています。

後半に語る「死のからだ」と、肉体の死だけではなく、たましいも滅びる存在であったことを示します。
そして「だれが」「私を救い出してくれるのでしょうか。」というのは、疑問ではありません。
自分では、もちろん解決できないし、イエス様以外には他の誰にも救い出し、解決できないことを告白しているのです。

滅び行くしかないみじめな存在から、罪が赦されて神とともに生きる存在となったことを確信して、少しも疑うことがない著者パウロの証しのことばです。
そして、この確信は、そのまま私たちの揺るぐことのない信仰の確信と平安そのものが、表されていることばです。

シャローム