「下では彼の根が枯れ、上では枝がしおれる。」ヨブ記 18章16節

友人のビルダデの中では、ヨブの罪は確定しているようです。
ですからヨブの罪を厳しく責める言葉を続けます。
ここでは罪の結果として、ヨブが滅んでしまうことを突きつけます。
それも完全に滅びると言うのです。
植物か大木に例えて滅びを示します。
根が枯れてしまえばそれは植物や木にとっては死であり滅びです。
しかも地上の枝も萎れてしまうのです。再生の余地がありません。
また、そのしおれた姿は人の目にも明らかです。
枯れてなどいないと、主張することはできないのです。

ヨブだけが、自分は正いと主張しても、彼の罪は下は根から上は枝に至るまで滅びの姿を表していると、ビルダデは言いたいのです。
続く、17節以降ではヨブのことは、人々の記憶からも、完全に消え去って、その名前さえも忘れ去られてしまうほどだと、言います。
ヨブの罪が大きく、そのさばきも厳しく徹底的であると、ビルダデは言いたいのでしょう。

ビルダデの一つひとつの主張、追求は正しいのです。
しかし、残念なことがあります。
彼は、ヨブを責めるばかり、ヨブに罪を認めさせたいばかりです。
ヨブは苦しんでいます。それは確かなことなのです。
そのヨブに、主のあわれみと助け、癒しを、もう一度心から祈ることを勧めていないことです。
主のあわれみと赦しのないところには、義をどれほど訴えても空しいのです。
罪を指摘するにしても、何を語るにしても、主イエスの愛を持って口を開きたいものです。

シャローム