「それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。」 使徒の働き 17章27節

手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょうと、語っていますけれども、この言葉は、それができると言うことを言いたいのではありません。
最初に「神を求めさせるためです」と語られている言葉が大切なのです。
私たちは、アダムが罪を犯してしまった後に、生まれながらに神様の前に罪を持って生まれてきた者です。
自分だけの思いと知識、考え方では、神を求めることはできません。
正しい、唯一の神様を求めることはできませんし、ましてや、見出すことはできないのです。

罪の中に生きる私たちは、偶像を作り出してしまうことばかりで、真の神を見出すことはできないのです。
それが罪を犯し、神との関係が断たれてしまったということです。

しかし、罪人である私のことをも、なおも神様は愛してくださったので、神を求める心を与えてくださったのです。
そして見出すことができるように、歴史の中で、自然の営みの中に、そのための機会を置いてくださったのです。
そして、ついに時が満ちて、イエス様が地上に生まれてくださって、ことばを持って神を見出し、信じることができるように、導いてくださったのです。
その上で、イエス様はご自分のいのちを犠牲にして私たちが見出し、信じることができるように、その道を備えてくださったのです。

神の語りかけを聞くならば、神は私の近くにいてくださることを知ることでしょう。
みことばを聞く、聖書のことばを開いて聞く。これが大切なことです。

シャローム