「というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。」 ピリピ人への手紙 3章18節

父なる神とその御子である救い主イエスを信じる人がいますが、信じない人もいます。
信じるのか信じないのかは、最後はその人の決断にかかっています。
もちろん、主は一人ひとりを大切に思い、愛してくださって、イエスを信じて救われるようにと導いてくださっています。
しかし、パウロはここではっきりと告げます。
救い主を信じない人とは、神に敵対する人になっているということです。

私たちを罪から救い出すために、イエス様がご自分のいのちを犠牲にして死んでくださった十字架を否定し、敵となっているのだということです。
与えられた恵を否定し捨て去るだけで終わらないで、その人たちは、神の恵みの敵となってしまったのです。
それは十字架の恵よりも自分が手にできる物の方が優れているものだと考えて、神の恵を捨ててしまう人です。
私たちが手にできる報酬が、神がくださる恵よりも価値があるというのでしょうか。
私たちが生きるこの世界は神が創造されて神の恵みが溢れています。
私たちが手にするものは、実はすべて神の恵みの内にあるものなのです。
その恵みの中でも、十字架の恵はもっとも優れたもっとも豊かで、決して変わらない恵なのです。
そのことを信じられないと言うのであれば、それは確かに神に敵対する人なのです。

しかし、さらに覚えておきたい。
神は、その敵対する人のために、御子を地上に遣わして、私たちに与えてくださったのです。
究極の神の愛が現されたのが十字架です。
敵とならず十字架の愛の中に生きましょう。

シャローム