「たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。」 ピリピ人への手紙 2章17節
4節には「ほかの人のことも、顧なさい」とあります。
私たちは自分を愛することにも困難を覚えてしまうような者です。
しかし、イエス様は、罪を犯して神から離れた私たちをさばいて見捨ててしますのではなく、ご自分のいのちを犠牲にして愛してくださいました。
ですから私たちは、イエス様に倣って、純真な者となって、ほかの人を愛する者となっていくのです。
いかなければなりません。
パウロは、その最先端を走っている信仰の先人なのです。
パウロは、ピリピの教会の人を愛して、彼らを救うために自分が殉教して死ぬことも喜ぶと告白するのです。
ピリピの教会の真の礼拝のために、パウロは喜んでいけにえになると言うのです。
本当にそう思っているのです。いえ、そう決意して告白できるのです。
パウロが、自分が最初にピリピの人々にイエス様の福音を伝え、そこからピリピの教会が始まったことを喜んでいるからです。
自分の働きの成果として誇り喜んでいるのではなく、ピリピの人が信じたことを喜んでいるのです。自分のことのように喜ぶのです。純真な思いで喜ぶのです。
ですから、喜んでささげものとなり、殉教するのです。
私たちも、自分自身をささげて共に喜べる信仰者となっていきたいものです。
イエス様の足跡を追って、そうなっていきましょう。
シャローム
