「私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」 エペソ人への手紙 6章20節
パウロは、この手紙を記した時には、牢獄に捕らえられていました。
鎖につながれながらも、という表現は投獄されていて自由がないことを示します。
しかも冤罪と偽証による投獄です。
この福音のために、つながれるというのは、イエスが救い主であることを語ったことで、捕えられたことを示しています。
しかし、それでも使節の務めを果たしていますと、書くのは、牢獄の中でも囚人や看守に伝えていたのです。
また、機会を捉えて裁判官や他の人にも積極的に福音を伝えていたのです。
投獄されたことは嬉しいはずもありませんが、だからといって福音を語るのを止めてしまうパウロではありません。
ですから祈りの支援を願い内容も、牢獄から解放されるようにと願うのではなく、語るべきことを大胆に語れるようにという、祈りの支援を求めるのです。
しかも続く22節では、パウロの様子を知ることがエペソの教会の人々の励ましになるというのです。
投獄されていて、自由も制限され、命の危険さえあるのに、そのパウロの様子を知ることが人々の励ましになると、パウロは確信をしています。
投獄の身にあって、行動の自由が制限されていても、主イエスを信じるキリスト者としては、真に自由であり、大胆に行動できることを証しするのです。
主イエスをいつでも、どこででも証しして福音を語れる人の人生、日々は鎖につながれることはありません。
自由です。
恐れることなく大胆に生きることができる人です。
私たちも、パウロと同じ自由で大胆な生き方ができます。
シャローム
