「そこでユダヤ人たちは、その癒やされた人に、「今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない」と言った。」 ヨハネの福音書 5章10節
6節では、ここベテスダの池で、横になっている38年も病に苦しめられている人に対して、イエス様が「良くなりたいか」と、声を掛けます。
彼は、初めイエス様の声に素直に答えることができませんでした。
彼は、この池で起きると言われる奇跡の恵みを自分は受けることができないと、説明をするばかりでした。
けれども、イエス様が続けて語る「~起きなさい」とのことばを受けて、従います。
すると癒やされたのです。
その時です、ユダヤ人たちが、この10節で語ったのは、モーセの立法では安息日に癒すことも、トコを取り上げることも許されていないと、律法を振りかざして彼を責めます。
そしてそれはイエス様のことも批判しているのです。
どうでしょう。
イエス様は、病に苦しむ人の傷んだ心に触れて、声を掛けてくださいました。
そして、癒し主の力で癒してくださいました。
でも、それはイエス様がこの人を愛してくださっていたからです。
それに対して、ユダヤ人は彼が癒されたことを、一緒に喜ぶこともなく、慰めのことばも
掛けないのです。
ユダヤ人は、モーセの律法の真意も分からず、そこに示される主の愛も知りません。
彼に寄り添うことがありません。
イエス様はそんなユダヤ人のことを、47節で、モーセの律法も知らず、信じていないのだと示します。
律法はなんのためにあるのか、誰のために与えられているのか。
それを知り、私たちのために律法を与え、愛してくださっている主を信じる素直な心を持っていたいものです。
主イエスは、私の傷んだ心に触れてくださり、癒し慰めてくださる。
主イエスはまた、私が喜ぶ時、その心を喜んでくださる方です。
シャローム
