「塩は良いものです。しかし、もし塩が塩気をなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。」 ルカの福音書 14章34節
当時の塩とは基本的に「岩塩」です。山から掘り出されたままの岩塩ですから、物によっては質の悪い物もあります。
不純物が入っている岩塩は、放っておくと痛んで使い物にならなくなります。
塩は、当時は、味付けに使うだけではなく、腐敗防止のために用いられました。
しかし、痛んでしまえば、腐敗防止に用いるはずの塩が腐敗し、価値を失ってしまうのです。
もちろん、痛んだ塩は、味付けにも使うことができません。
塩は、良い物、価値のある大切な物ですが、腐敗してしまったら、その価値は完全に失われてしまうのです。
それはイエス様の話を聞いても、そのことばを実践して、イエス様に従っていかない人のことです。
聞いても自分の中に留めていかないならば、聞いたことにはなりません。
聞くということは、聞いて実践する、身につけていくということです。
他のものでは代用ができません。
塩気を失った塩、実は塩のようで塩ではない存在は、打ち捨てられるだけです。
私たちは、イエス様を信じて、そのことばに聞き従うことで、腐敗、罪から離れてきよくされていくのです。
塩気があるとは、罪の腐敗から離れた聖いものになっているということです。
どんなに小さくても塩気のある塩としての存在を示すような、イエス様のことばに従う存在になっていきましょう。
シャローム
