「これらのことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。」 ルカの福音書 24章36節

イエス様は、イエス様を慕う者たちの中に来てくださる方です。
私たちが、よみがえられたイエス様を見つけるのではなく、不安になっていたり、戸惑っている者たちを見つけ出して、イエス様の方から近づいてくださいます。
36節よりも少し前の15節でも、エルサレムを離れてエマオという村に向かっていた弟子の二人のところへと近づいてくださって、声を掛けてくださり、彼らの話を聞いてくださっています。
この二人もイエス様が死んでしまったと悲しみに打ちひしがれて、逃げるように村へ向かったのでしょう。
そんな二人をイエス様は見つけ出し、手厚く助けてくださいました。

そして、その後エルサレムに戻ったこの二人を加えた弟子たちの中にイエス様は来てくださったのです。
やはり、悲しみが先立ち、イエス様がよみがえられたことを信じられない弟子たちを励まして、彼らの信仰を確かなものとしてくださるために、ご自分の方から来てくださったのです。
そして、平安を与えてくださったのです。

この日の出来事を記す記事の中では、この後、イエス様はご自分がよみがえられて、ちゃんと身体もあるのだと、教えるために弟子たちの前でお魚を食べて見せます。
厳しく叱ったり、指導するのではなく「ほら、先日も一緒にこのようにお魚を食べて、食事を楽しんだでしょう」と、食べてみせることで優しく励ましてくれたのです。
イエス様が、私たちの心を良く知ってくださっていて、そして、いつも寄り添ってくださる方なのだと分かる場面です。

何よりも大切なことは、いつも、いつでもイエス様が私を見つけ出してくださって、私の真ん中へと来てくださるということです。
私を愛してくださっているから、来てくださるのです。
それが励ましであり、私の平安なのです。

イエス様。私もあなたを愛しています。

シャローム