「すると見よ。十二年の間長血をわずらっている女の人が、イエスのうしろから近づいて、その衣の房に触れた。」 マタイの福音書 9章20節
3節には、心の中でイエス様を批判しながらも、人々の手前では何も言わない律法学者が登場しています。
イエス様は、彼らの悪い心を知っておられて、なぜ、心の中で悪いことを考えるのかと指摘しました。
彼らは、人を批判するばかりで、心にあることを良い行いとして行動しません。
しかし、ここに登場する女性は違いました。
続く21節には「心のうちで考えた」と、説明があります。
イエス様を信じて、その衣に触れさえすれば、自分の病、それもこれまで誰も癒すことができなかった病は癒されると、考えたのです。
そして、密かにイエス様に近づき、その心、思いを行動へと表したのです。
ただ、衣に触れたのではありません。
癒されると信じた心で、その手を動かし、行動して、触れたのです。
その結果は、病は癒やされ、イエス様からの癒しの宣言と祝福のことばをいただけたのです。
心で悪いことを考える律法学者とは真逆です。
信仰は、心の内にあり、その思いは、行動に現れるのです。
12年という、長い年月の期間、この女性を苦しめた病も、主イエスは一瞬に癒すことができる方なのです。
この方の前に、私の心は隠れることはできません。すべてを表し、注ぎ出して、行動へと繋げたい。
私も、イエス様に触れたいのです。
シャローム
