「しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』」 マタイの福音書 7章23節

人が隣人たちの前で自分の力や経験を誇ったり、信仰を誇ったとしても、最後の時に、主に認められて受け入れられなければ、それが何の意味があるのでしょう。
主に知らないと言われてしまったならば、その時までの人生の歩みは何の意味があると言うのでしょう。
しかもここでは、はっきりと言われてしまうのです。「全く知らない」と言われてしまうのです。
全くと言われてしまうのです。
主に完全に捨て去られてしまうのです。
続けて「わたしから離れて行け」と言われてしまうのです。

天の御国に迎えていただけないのです。
その時になってからでは遅いのです。遅すぎると言うことです。
その日、その時はあるのです。

あわれみ深く、忍耐強い主ですけれども、この時には知らない、離れて行けと、断じます。
忍耐強く、見捨てない主の愛を信じることと、主の愛を軽んじて甘えるのは全く別のことなのです。
その日に、よくやった良い忠実なしもべだと、言っていただける信仰者もいるのです。
この地上で与えられた日々をどのように生きるのかが問われます。
最後の主のことばは備えられています。

シャローム