「私が黙っていたとき私の骨は疲れきり私は一日中うめきました。」 詩篇32篇3節
黙っていたときとは、罪をおこなってしまった後で、それを隠して主の前に悔い改めることをしなかったときのことです。
詩人が犯した罪は人の目には明らかになっていませんでした。誰にも気づかれていません。バレていないのです。
しかし、詩人本人はもちろん知っています。そして主の前に罪を隠していることも自覚しています。
人の目にはバレていないのですから、罰も受けないし、誰にも責められたりしていないのです。
しかし、詩人は苦しみます。疲れ切り身体はsの中心の骨から疲れきって、詩人はうめくしかなかったのです。
安らぎがありません。
罪は指摘されてはいないのに、うめくほどに苦しみます。
実際の罪を犯したことの苦しみと主の前に隠しているという罪の苦しみが詩人を責めています。
黙っていることは苦しむことになります。
この後で詩人は主の前に罪を告白して悔い改めます。
すると詩人には平安が与えられるのです。
人々からは責められます。罪を犯したと責められます。ひどく責められて苦しめられるのです。
しかし、詩人は、主の元へ身を寄せて赦しと平安を受け取ります。
罪が明らかにならないで黙っていたときの方が、苦しくうめいたのです。
しかし悔い改めた詩人には主からの赦しと助けが与えられて、休むことが赦されました。
主の前に隠すことの方が苦しいのです。
主は、いつも守ってくださるから。
正しいことを行うのを求めるのは王道です。けれども、赦されることを知るのは、もっと正しいのです。
隠すのではなく、主の前に告白することを私の常としたい。
シャローム
