「イエスは、彼らを残して再び離れて行き、もう一度同じことばで三度目の祈りをされた。」 マタイの福音書 26章44節

十字架の死を目前にしたイエス様が、ゲッセマネの園で最後の祈りをされている箇所です。
弟子たちは、近くにいますけれど、イエス様と一緒に祈ることができません。
弟子たちには、その力がなく、覚悟もなかったのだと思います。

ここでは、神の御子であるイエス様が、十字架の死という父から与えられる盃を飲むために、同じ祈りを三度もされたことに驚きます。
ただことばを繰り返されたのではないのは確かです。
イエス様でさえ、必死に繰り返して祈らなければならなかったのが、この時なのです。

イエス様が私たちのために、そんなにも熱く、繰り返して祈ってくださったのだということに驚きます。
もう一つ驚きは、十字架の死という苦しみを避けるのではなく、それを受けることは十分に知っておられるイエス様でも、三度も祈ってから、十字架へ向かわれたのだということに驚きます。
イエス様にとっても、私たちの身代わりに十字架で死なれることは、簡単なことではなく、祈りを重ねなければ、使命を果たせない、大切なことなのです。

私たちは、イエス様に倣って生きるのです。
祈りのことばも、祈ることそのものもイエス様の祈る姿に倣わなければいけないし、倣っていくことで、私たちに、祈ることが身に付いていくのだと思います。

シャローム