「しかし、この民は自分を打った方に帰らず、万軍の主を求めない。」 イザヤ書 9章13節
1節「苦しみのあったところに闇がなくなる」
そして6節「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる」
救い主イエス・キリストが、人となって私たちの間に生まれてくださることを預言する、とても有名な1節、6節に代表されることばが記されていく9章です。
救い主の預言が記されるという、喜びのある9章のはずです。
しかし、前章の8章から続く内容、この時のイスラエルの民の姿は、目を覆いたくなるような状況です。
主に愛されている民なのに、主に背いて、偶像を崇め、霊媒師に願いような状況です。
主を知っているはずのイスラエルの民が、主に背を向け続けています。
そしてこの時、自分たちが苦しい状況にあるのは、主のさばきの下にあることを知ります。
主は、あわれみの心を捨てることなく、それでもイスラエルの民を打ちます。
周辺の国々の力さえも用いて、主は民を打ちます。
打っている主の方が忍耐しているのです。
それでもなお、民は主を求めません。
万軍の主の力とあわれみ深い主の助けを求めないのです。
帰るべきところがあるのに、帰りません。
愚かで、悲しい民の姿です。分裂王国の歴史を読み直すと、それがよくわかります。
祈ることさえ忘れているこの時の民です。
そんな中に、そんな時代に、そんな地に、イエス様は飛び込んで来てくださったのです。
私たちと同じ、弱さをも持って、人となってくださった。
私たちが、主に祈り求めるなら、助けと慰めはすぐそこにあることに気がつくことができます。
シャローム
