「アハズは言った。「私は求めません。主を試みません。」」 イザヤ書 7章12節

アハズ王は、この時、アラムに攻められており、戦いは非常に危機的でした。敗戦が濃厚なのです。
それでもアラムの方も、決定的な力、手がありません。

その時、預言者イザヤは主のことばを預かり、アハズ王に告げます。
主は「しるし」を求めるように迫ります。
しるしとは、特別な出来事、通常ならば起こり得ないことが起きることで、主の力が働かれることを、そこに見ることができることです。
時間がさかのぼったり、地面の一点だけが夜露で濡れたりすることが、聖書中に起きています。

主がユダの国を救い出し、アラムを退けるという約束が与えられ、その約束の「しるし」を求めよと。
主の心はそうでした。

しかし、アハズは、しるしを求めない、主を試みませんと、答えるのです。
しかし、主は怒ります。
「煩わせるのか」との怒りのことばがイザヤから告げられるのです。
アハズは、主を信じているのでしるしを求めないのでは、なかったのです。
危機的な時に至っても、主だけに信頼していないのが、アハズの心、信仰なのです。
主は、それをすべてご存じでした。

無謀な祈りのようであっても、時に私たちは主にだけ信頼し、大いに期待して求めるべきなのです。
主が求めよと、言われたら、大いに求めるべきなのです。
求めませんと、立派に聞こえる答えを口にしても、主に信頼していないのならば、意味がなく、価値もありません。
求めれば、与えられるのです。
主は、惜しみなく与えてくださる方なのです。
私の危機は、主の好機、主のあわれみが働いてくださる時です。

シャローム