「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。」 コリント人への手紙 第一 6章19節

「あなたがたは知らないのですか。」と、パウロは問い掛けています。
3節、9節、15節、16節、そして19節と、繰り返しています。
それほどまでに大切なことだと、パウロはコリントの人たちに問います。
いえ、彼らに思い起こさせたいのです。

主イエスを信じた信仰者、キリスト者は、既に以前の自分とは違う存在になっているのです。
もちろん、それは自分を自慢し誇ることとは違います。
キリスト者の身体は既に主のものとなっています。自分のものではないのです。
自分のものではなくなった自分は悲しむことではありません。
罪の身体が、キリストに在って、聖霊に宮となっています。
聖霊が、私の身体の中に住んでくださっています。

なによりも、私は、キリスト・イエスのいのちを代価として買い取られた身なのです。
きよい身であり、尊い身です。
それはどこまでもキリストに在ってなのです。

それならば、私の生き方、私の身体の用い方は、信じる前とはまったく違っているはずです。
それなのにと、パウロは問います。
「あなたがたは知らないのですか。」
それはまるで知らないかのような生き方をしていると、パウロには見えるからです。
私が何者であるのかを示すのは、キリスト・イエスの栄光を現し、その愛を証しすることで明確になります。
そうでなければ、私は、キリスト・イエスを知らないのかと、パウロに問われることでしょう。
私は、小さく弱い存在です。けれども私の中には聖霊である神様が住んでいてくださり、イエス様に愛されています。
これが私です。これが私の価値です。

シャローム