「ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。」 使徒の働き 20章23節
パウロは自分には「鎖と苦しみが私を待っている」と語ります。
パウロは知っているのです。
イエス様を信じる人には迫害や困難があるという、一般的な意味ではなく、パウロ自身にそれが迫ってくること。
それはイエス様に従い、使徒として仕えて働くならば、決して避けられないことを、知っているのです。
実際に、使徒21章33節では、千人隊長によって二本の鎖で縛られています。
また、投獄された獄中から教会の兄弟姉妹を励ます手紙を書いています。
そして、パウロが苦しみに遭うことは、迫害者であったサウロ(パウロ)を主イエスが、使徒として召した、最初の時に告げられています。
しかし、パウロはそれらを避けようとはしません。
私たちは、普段、喜び楽しい日が待っているとか、有益なことが自分の身に起きることを望むことはあっても、自分から鎖と苦しみは求めないでしょう。
でも、たとえ鎖と苦しみが迫っていると知っていても、主イエスに従うことの喜びと、その先にある御国に凱旋する希望を握りしめているならば、避けることなく苦しみを受け止めていく信仰の人でいたい。
聖霊様の導きと助けを信じて、大胆に主イエス様を証しする日々を送っていきたい。
鎖と苦しみは嬉しくありません。私の正直な心です。
しかし、それらの鎖と苦しみは、この地上での一時的な物、耐えることも、脱出の道も備えられています。
そして、その先には永遠のいのちの約束と御国が待っていることを忘れないようにして毎日を歩みたい。
シャローム
