「私は主を待ち望みます。私のたましいは待ち望みます。主のみことばを私は待ちます。」 詩篇 130篇5節

私たちは、待つことは好きでしょうか?待つことを得意にしているでしょうか?
どちらかと言えば、待つよりも早く得たい、早く受け取りたい、少しでも早く与えられたいと、思うのではないでしょうか。
そのように感じる、思うのは、私だけでしょうか。

待つことは、喜びであり、益となり、良いこととして受け止めているのが、この詩人です。

詩人は、主の助け、主が詩人に語りかけてくださるのを待っています。
いえ、強く待ち望んでいます。
ここ5節では、3度も繰り返して、待ち望みます、待ち望みます、待ちますと、声を上げるのです。
詩人は、今、苦しめられて、困難の中にいるのです。
そこから主の名を呼び、待ち望んでいます。
主の助け、主の解決を求めています。
それが待ち望みますと表現して、繰り返して声を上げます。

なかなか主の助け、主の声は届かないようです。
けれども詩人は、諦めたり、嘆いたりしていません。
むしろ続く6節では「夜回りが夜明けを待つように」と声を上げます。
夜が明けるのは、もう直ぐです。
そして必ず明るい朝が来ます。希望と喜びを表す朝が必ず来るように。

詩人は、主が必ず助けてくださり、詩人に語りかけてくださることを確信しています。
確信しているからこそ、待ち望みますと大胆に強く声を上げるのです。
待ち望んでいるこの時に、詩人は、既に喜びと平安を受け取っています。
待ち望んでいるこの時が、喜びの時に変わっているのです。

私たちも、確信を持って主を待ち望みますと、声を上げていきましょう。喜びとともに。

シャローム