「どうか喜ばせてください。私たちが苦しめられた日々とわざわいにあった年月に応じて。」 詩篇 90篇15節
「苦しめられた日々」「わざわいにあった年月」とは、詩人たちが主の前に罪を犯した日々、年月のことです。
誰かに苦しめられたということではなく、わざわいに遭遇してしまったのとも違います。
主を知っており、主のことばに従うことが幸いと恵みを受け取ることなのだと、知ってます。
それなのに詩人たちは、主のことばに従わず罪を犯したために、苦しめられ、わざわいにあっているのです。
そして、最初にこれらと対比するように「喜ばせてください」とあります。
詩人たちの喜びとは、自分で勝ち取っていくものではなく、主によって与えられるものだからです。
主から与えられる喜びがない日々は、そのまま苦しみとわざわいの年月なのです。
ですから、私たちは主の元へ帰り、主よ、喜ばせてくださいと、祈り求めなければならないのです。
主との関係を回復しないままでは、喜びは受け取ることができません。
「応じて」とは、苦しみとわざわいの中をこれまで忍耐して歩んだので、回復と赦しの時を与えてください、私たちは十分に罪を自覚して悔い改めましたから、喜びを味あわせてくださいとの思いです。
私たちは知るべきなのです。
主は喜びを与える方なのだと、知るべきなのです。
苦しみ、わざわいの中にあるのは、私が主から離れているのだと、知るべきなのです。
主よ。私に喜びを与えてください。祈ります。
シャローム
