「すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。」 マタイの福音書 28章9節
イエス様が十字架の上で処刑されて、墓に葬られたのを見届けたのはマグダラのマリアたちでした。
彼女たちは、安息日をじっと忍耐して、3日目の朝である日曜日を待つと、お墓へと出かけたのです。
しかし、お墓には彼女たちの思いを超えたことが起きていました。イエス様のからだはなかったのです。
そこに現れた主の使いは、イエス様は約束してくださったとおりに、よみがえられたと告げるのです。
そして、彼女たちは「恐ろしくはあったが大いに喜んだ」と、聖書は8節で伝えてくれます。
墓を見張っていた番兵が、主の使いと出会って恐ろしさのあまりに震え上がったのとは、違う反応です。
イエス様がよみがえられたことを、この時には、十分に理解して信じたのではなかったマリアたちでしょう。
それが「恐ろしくはあったが」という8節のことばに表れています。
しかし、同時に「大いに喜んだ」のです。
イエス様を愛するマリアたちの心が見えます。
すると、イエス様が表れて彼女たちに声を掛けるのです。
「おはよう」は、喜びがあるようにいう意味もあります。
約束が果たされ、罪が赦される道が完成した喜びが、今、彼女たちに、そして私たちに届けられたのです。
いつも、いつでも喜びや恵み、祝福はイエス様の方から届きます。
私たちがイエス様の方へ行く前に、イエス様の方から近づいてくださって、与えてくださるのです。
今も、イエス様は私たちを見守り、私たちへと近づいて声を掛けて、祝福を与えてくださるのです。
主イエスの声を聞いて、近づき礼拝をします。
シャローム
