「ニネベの人々が、さばきのときにこの時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。」 マタイの福音書 12章41節
ヨナにまさるものがありますと、イエス様は言われました。
一つ前の節では、イエス様が与えてくださる「しるし」として、ヨナが魚に飲み込まれて三日三晩を魚の腹に居たことと比較させて、地の中に三日三晩いることになるとお話しされました。
それはイエス様が十字架で死に、墓の中に三日三晩いることを示されたのです。
ヨナは、海の中、魚の腹の中から生きて帰還し、また、宣教の働きに仕えました。
そしてニネベの町に住んでいた人々は、こぞって罪を悔い改めました。
ヨナの働きが祝福されて、用いられたのです。
この時、ヨナにはるかにまさる御子であるイエス様が、死からよみがった時、人々はイエス様を信じて、みことばに従うようになるのだと、示されたのです。
しるしは、私たちが驚いたりするために与えられるものではありません。
そのしるしによって、私たちの罪が赦されていくためのものです。
ヨナの時代の人がヨナの説教によって、罪を認めて悔い改めへと導かれました。
私たちは今、イエス様の十字架の死と三日目のよみがえりによって、罪の赦しと永遠のいのちが与えられたのです。
イエス様のしるしは、単なるしるし、象徴的なものではなく、そこに力がある業なのです。
ですから私たちはイエス様の歩かれた十字架の死とよみがえりをよく見ていきます。
そしてそのイエス様が語られたことばをよく聞いていくのです。
そこに幸いと平安があります。
シャローム
