「わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を。」 詩篇 43篇節

42篇に続いてこの43篇でも「うなだれているのか」ということばが登場しています。
詩人は、引き続き苦しめられているのです。
そして、詩人は嘆いて歩き回っています。苦しい姿、様子がそこにあります。
本当に苦しいのです。

それでも詩人は希望を失っていないのも確かです。
主が導いてくださり、主の祭壇の前に進み出て、賛美し礼拝を捧げることを願っています。

そして、詩人はこの詩篇43篇の最後に、神、主をほめたたえて終わるのです。
なぜ、うなだれるのかと、自分に問いかけ、なぜ、思い乱れるのかと自問しつつ、それよりも、主を賛美することを選ぶのです。
私たちは弱いのです。小さな存在なのです。
苦しみが続けば、疲れ果ててうなだれて、下ばかり向いてしまうでしょう。
それでもなお、神を待ち望んで、神を賛美することを忘れないようにしたいのです。

神、主を賛美するところから、力を得て、うなだれるのではなく、天を仰ぎ見て、賛美を歌う人に変えられるからです。
この詩人に倣っていきたい。

シャローム