寄留者は外で夜を過ごさず、私は戸口を通りに向けて開けている。」ヨブ記 31章32節

ヨブの住むところに立ち寄る寄留者は、宿もなく支援する人もないままで野宿をするようなことはないと、ヨブは語ります。

 何故なら、その人が異邦人の寄留者であっても、ヨブはいつでも自宅の戸口を開けていて、彼らを客人として招く用意があるからです。
 戸口を通りに向けて開けているとは、知人だけではなく、たまたま立ち寄った寄留者にも、ヨブのあわれみの心は向けられていて、いつでも彼らを助けるという意味です。
 差別などしない。
 自分の財産でもてなすことを惜しまない。
 そのように実践してきたと、ヨブは主張しているのです。
 
 31章では、家族だけではなく、自分自身に正しく振る舞い、召し使いにも公正に接してきたと語ります。
 そして、ここでは、寄留者という、ある意味では、自分には直接関係のない人にも正しく愛を持って接してきたのだと訴えます。
 人に対して、収穫物の扱いにも正しく行ってきたと言います。
 ヨブは、友人たちに責められて、ついに自分がまるで完璧に正しくあわれみ深く行動してきたと訴えます。
 事実、正しく行ってきたのでしょう。
 しかし、もう、ヨブには謙遜さや主の前に静まっていく心を失っています。
 それは正しくはないのです。
 完全な義、正しさと、あわれみは、主のものです。
 それをわきまえなければいけないのです。
 気をつけたい。自分の口にを開く時には、そのことばを主が聞いておられることを忘れないように。
 
シャローム
大祭司であるイエス様のことを説き明すことはできないのです。
 ユダヤ人もこれまで、様々な時を捕らえて、主が語ってくださいましたが、信じきることができませんでした。
 聞けと、言われているのに、しっかり正しく、素直に聞けないのが私たちです。
 それが鈍くなっているということです。
 
 ですから今、私たちは「主について、真の大祭司について、知ることができないことがあります」と、せめて謙遜に告白できる者でいたい。
 聞ける人になりたいと告白したいのです。
 
シャローム