「アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行った。」 列王記 第一 16章33節
 
 ここ16章に登場する北イスラエルの王は、みんな揃って主の前に悪を行い、罪を重ねる人たちばかりです。
 そしてその中でも特にひどい罪をおこない悪王と呼んで差し支えのない王、何一つとして良いところがないアハブの登場です。
 アハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますます主の怒りを引き起こしたのです。
 主は、何を怒るのでしょう。
 人で言うところの感情的な怒りではありません。
 主の前に罪を重ね、悔い改めることがないから、主は怒るのです。
 怒らなければならないのです。
 義なる神であり愛の神は、罪をそのままにはして置けないのです。
 
 そして、忘れてはならないことが2節に記されています。
 「わたしは、あなたをちりから引き上げ」とあります。
 本来ならば価値のない、捨て去られてしまうような「ちり」にしか過ぎない者を、主は見出し、王として立ててくださり、恵みと祝福を与えてくださったのです。
 その愛と恵みを忘れ去り、主の前に罪を重ねてきたのです。
 主の怒りは、忍耐と寛容を超えた怒りです。
 
 私たちは今、罪から引き上げられて、罪赦された者として、主の愛の中に生かされ、主の大切な使命に生きる者になったのです。
 忘れてはいけない。
 ちりに過ぎない者が、主に愛されているのです。
 
シャローム