「ところがあなたは、これまでのだれよりも悪いことをした。行って自分のためにほかの神々や鋳物の像を造り、わたしの怒りを引き起こし、わたしをあなたのうしろに捨て去った。」 列王記 第一 14章9節
ヤロブアムの息子が亡くなっていく時に、主はヤロブアムの罪を断罪されます。
これまでのだれよりも悪いことをしたと、非常に厳しいことばで主はさばかれます。
それも怒りを引き起こしたのだと示されています。
ですからヤロブアムは、主に捨て去られたのです。
うしろに捨て去ったと、もう赦されないことが示されたのです。
厳しい。
ひとつ前の節には、ダビデは主のみこころに、かない、従い通したのだと祝福のことばが与えられています。
ダビデも王になった後で罪を犯しました。
それなのに従い通した、かなった王だと言っていただけています。
ヤロブアムとの違いは何でしょう。
それは悔い改めたか、どうかです。
そして主だけを信じて、他の偶像の神々を頼らなかったからどうかです。
この違いは大きく高く深い差なのです。
努力や働きの評価などではない。
信仰が問われます。
私たちもみこころにかなったと言われるように歩みたい。
シャローム