「わたしには受けるべきバプテスマがあります。それが成し遂げられるまで、わたしはどれほど苦しむことでしょう。」 ルカの福音書 12章50節
受けるべきバプテスマとは、イエス様が十字架に架けられて殺されていくことを示します。
それが成し遂げられるまでとは、十字架の死のことをそのまま表しているのではなく、イエス様が十字架で死ぬことで、実現し完成をする贖いの死のことです。
贖いとは、私たちの罪をすべてイエス様が身代わりになって、受け止めてくださり死ぬことです。
その死によって、本来ならば死をもってしても赦されないはずの私の罪が赦されていくことなのです。
しかし、その死を迎える時まで、イエス様はさらに苦しめられます。
裏切られ、嘲られ、身体を痛めつけられ、心を傷つけられ、父なる神様と断絶をしてしまったようなたましいの痛みさえ経験するのです。
それはすべて、本当ならば私が受け取らなければならない苦しみでした。
それをイエス様が、私を愛してくださったので、受け止めてくださったのです。
57節には、あなたがたは、何が正しいのかどうして自分で判断しないのですかと、問いかけます。
私の目の前には、イエス様の愛が示され、私の罪を赦すための唯一の業があります。
それを信じるかどうか、受け取るのかどうか判断し、行動するのです。
私が受け取るその時まで、イエス様の苦しみは続くのです。
シャローム