「ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」」サムエル記 第1 17章47節 (2017新改訳)
イスラエルはエラの谷に陣を敷き、ペリシテ人と戦っていました。
とは言っても、イスラエル人は揃って、ペリシテ人の戦士のゴリヤテを恐れて戦えずにいたのです。
そこに父の指示で兄たちのところに来たダビデが、その様子を見るのです。
ダビデは、自分が戦い、そして主が勝利を与えてくださると、サウル王とそこにすべての戦士に語るのです。
4節から7節は、ゴリヤテの体格の大きさや、彼が持つ武具が恐ろしい物であることを記します。
しかしダビデに関しては、何も記しません。
そしてイスラエル人は、このゴリヤテを見て恐れますが、ダビデは、主を見ています。
主への信頼で目を開いています。
そしてダビデは、この戦いは、どなたが真の神であり、誰がその真の神を信じているのか、どうかが問われる戦いだと告白するのです。
羊を守るときも、襲いかかる獣からいつも守ってくださる神は、必ず自分を守ってくださると、ダビデは信じています。
信仰の経験をしてきたダビデであり、信仰に生きているダビデは、ここでも不安にならず、主を疑いません。
ゴリヤテの言葉を恐れ、ゴリヤテの装備を恐れ、ゴリヤテの大きな身体を恐れる人は、信仰を萎えさせます。
しかし天と地を造り、人をも形造られた神を信じる人は、人を恐れません。主を畏れます。
そして主に愛されていることを疑わないのです。
この戦いは、イスラエル人の心の中の信仰の戦いです。
シャローム