「彼は王に言った。「主はこう言われる。『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたので、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」 列王記 第一 20章42節

強力な軍勢を頼りとして、アラムの王はイスラエルを攻め取ろうとしました。
軍事力、兵士の人数などを見れば、勝利はアラムのものでした。
その上、アラムはイスラエルの神を侮るような言葉を口にして、自分たちを誇ったのです。
イスラエルは追い詰められていました。
しかし、主はイスラエルを助けて、アラムを打ち破らせてくださったのです。

ところがイスラエルの勝利が確実になった時、イスラエルの王は、アラムの王の命を助けるのです。
人の命を助けたので、良いことをしたように思えますが、それはこの時に限っては間違いでした。
イスラエルを苦しめ、神、主を侮ったアラムの王を主は打ち、聖絶するように命じていたのです。
主の前に悔い改めて赦しを求めたのではなく、イスラエルの王に命乞いをしたに過ぎません。
王といえども、主の代わりはできません。してはいけないのです。

それを破り、自分があわれみ深い人のように振る舞い、主のことばに従わなかったイスラエルの王もまた、主のさばきを招くのです。
真にあわれみ深いのは主だけです。
主のことばに従い通す時に、私と私の周りに、主のあわれみを経験するのです。
私が主の代わりにあわれみを与えることはできないのです。
隣人を愛し、あわれみの心を持つ人になることとは大切です。けれども、主にことばに従い通すときにこそ、それを実践できる信仰者として、証できるのです。
そこには聖霊様が働いてくださる。

シャローム