「すなわち、暴動と人殺しのかどで牢に入れられていた男を願いどおりに釈放し、他方イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。」 ルカの福音書 23章25節
彼らの好きなようにするとは、イエスを十字架につけて殺すことです。
その一方で、有罪で死刑と決まっていた犯罪者が、何の償いもしないまま完全に無罪放免となったのです。
投獄されていた牢から出された犯罪者は、自分が赦されて自由になったことを実感したでしょう。
同時に、償いもないまま赦されたことに驚き戸惑ったことだと思います。
もちろん、この人の償いはイエスさまの命で贖われたのです。
具体的な命のやり取りがあれば、私たちは救いを実感するのでしょうか。
エルサレムに住む人たちの自分勝手な欲望のために、イエスさまは排除され殺されました。
しかしその結果、無条件で赦される罪人がいたのです。
これは象徴的であり、非常に驚く出来事です。そして史実です。
そして私たちは、神さまから離れて罪の中に生きて、罪の鎖に繋がれていました。
それはこの時の犯罪者のようには目には見えない罪の鎖です。
イエスさまがこの男の身代わりとなってように、私の罪を赦し、私を罪の鎖から解放するためにイエスさまが十字架にかかり、身代わりに死んでくださったこと。
私たちは牢から釈放されたこの男のように、実感し、新しい生き方をしているでしょうか。
もう一度、赦されて新しく生きる者となったことを深く味わいたい朝です。
シャローム