「エノシュ、セツ、アダム、そして神に至る。」 ルカの福音書 3章38節
預言されていたとおりに、救い主の登場の前に現われる「荒野で叫ぶ者」バプテスマのヨハネのことを紹介して始まる3章です。
そして、預言されたとおりに、地上に来てくださったイエス様の家系を遡って示すのです。
ダビデ王の名前もしっかり記されています。
その系図の中で、今朝、心が留まったのが38節です。
最初の人であるアダムの名前が示されるのは当然のこととして、その次に、こうあったからです。
「そして神に至る。」
私たちは全能であり創造主である神様によって造られ、今、生かされています。
神に至るとは、人が神になるということではありません。当然のこととして。
神に至るとは、創造主なる神様と私たちが関係があると言うことです。
このことばからでも分かるのは、私たちは神様を離れてしまっては、私の存在の意味はないのだということです。
逆に言えば、私がどんなに神様のことなど知らないと叫び主張しても、私の存在は、この方創造主である方と深く結びついて離れることはないのです、
アダムが神様に造られたように、貴方も神に造られた存在です。
ですから私たちは神様を求めるのです。
今朝も神様を求め、神様を賛美して、神様と関係があることを喜びたい。
シャローム