「主よ帰って来て私のたましいを助け出してください。私を救ってください。あなたの恵みのゆえに。」詩篇 6編4節

「帰って来て」と、詩人が祈るのは、この詩人が罪を犯して主が彼から離れてしまったのではないと、思います。
確かに、1節には「御怒りで私を責めないで」「憤りで私を懲らしめないで」と、繰り返されていますから、今は、主のさばきがあ流のです。
イスラエルの民が主に見捨てられてしまったように感じる状況があるのでしょう。
しかし、それはこの詩人の罪ではなく、民全体が、主を忘れ、主に背いて歩んでいる状況なのです。
民が主を見失っているのです。

その時、詩人は帰って来てくださいと祈るのです。

詩人を含めた民が悪いのです。
ですから、今、苦しんでいるのも、いわば自業自得なのです。
でも、この詩人は知っています。自分を救い出せるのは主だけであることを知っています。信じています。

でも、主に救っていただける資格もなければ、主に祈り求める資格さえもないと知っているのです。
それでも主への信仰があります。
ですから「帰って来て」と祈ります。主に近づいて欲しいのです。
そして、自分には資格はないので、主の恵みを与えてくださって、救ってくださいと祈るのです。
そこは図々しくも祈るのです。
主の恵みが、完全い取り去られていないと信じて祈ります。
それが良いのです。そうすべきなのです。
主の恵みを期待しなければ、罪人の私が救っていただけるはずがありません。
でも、主は助けてくださいます。
祈りましょう。求めましょう。

シャローム