「エフライムは祭壇を増やして 罪を犯すようになった。 それは彼にとって 罪を犯すための祭壇となった。」ホセア書 8章11節
祭壇を増やしてとは、いけにえを献げ、礼拝をし、祈る場所をたくさん造った事実を示します。
彼らは、様々な場所でいつでも礼拝できると、喜んだのでしょう。
いかにも、自分たちが信仰深いように振る舞うことができるからです。
他の人にも、そのように見えるので、都合が良いのです。
それなので喜んでいます。
しかし、その祭壇での祈りと献げられるいけにえには、真実の心が伴っていません。形ばかりの礼拝やいけにえが献げられる機会が増えただけです。
それはかえって心のない祈りやいけにえを献げることで、罪を犯す機会となりました。
いけにえが礼拝が罪を犯す時となったのです。
心がないから。真実の信仰がないからです。
そんなものは神が憎まれるものです。
この1節は、最初「エフライム」で始まりました。
部族全体が罪を犯していることを示します。
しかし、後半は「彼」になっています。
罪を犯し、罪をますます重ねて行くのは、彼である自分の責任なのです。一人一人が自分の真実な心で悔い改め、たくさんの祭壇から離れて真の礼拝を献げなければ、その場所は祭壇ではなく罪を犯す誘惑の場所に過ぎません。
祭壇を増やすより、心を砕いて献げる一度の真実な礼拝が大切です。
シャローム