「私のわざわいの日に彼らは立ちはだかりました。けれども、主は私の支えとなられました。」 サムエル記 第二 22章19節
21章からはダビデの歩みの「付録」「回顧」が記されています。
ここ22章は、困難を、それも大変な困難を経験した、いや、経験し尽くしたといえるほどのダビデが苦しみの最中から主への感謝を祈り賛美している箇所です。
主は、ダビデを助けてくださいました。
サウル王に命を狙われていた時にも、主はダビデを守ってくださったのです。
ダビデがわざわいを経験しているその時、ダビデの敵は彼の前に立ちはだかって、さらにダビデを苦しめ、窮地へと追いやるのです。
その苦しみ、絶望を経験している最中に、ダビデは「けれども」と声を上げます。
主が、自分とともにいてくださると言う確信です。
主が、私を支えてくださるという平安です。
私が立ち上がれないと、困難の中で膝を付き涙しても、その時には既に支えとなってくださる主の強い御手があるのです。
そのことを信じることができるのは、なんと幸いでしょう。
そして、苦しみの最中に、それを賛美の声として、祈りのことばとして唇に上らせることができるのは、なんと幸いであり、力となるでしょうか。
苦しい時、苦しみに悲しみ嘆きが重なるような時、そんな時こそ、主への感謝と賛美の声を上げる私になりたいのです。
聖霊様。導いてください。
シャローム