「これは主のみこころにかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。」 列王記 第一 3章10節

知恵の王と呼ばれ、実際にその時代、その地域の誰よりも知恵があり、その知恵のおかげでユダヤの国は非常に豊かになりました。
ソロモン王です。
しかし、それはソロモンが他の人よりも優秀であったということではありませんでした。
彼が主に礼拝をささげた時に、主がソロモンに臨み、彼の願いを聞いた時に、ソロモンが民をさばく知恵を求めたからでした。
自分の富や権力、軍事力や長寿を願うのではなく、主に与えられた王という、それもダビデの王国を継ぐ、次の王としての判断力、知恵を求めたからです。
その願い、求めは主のみこころにかなうものだったからです。

新約聖書のヨハネの手紙第一5章14節にはこうあります。「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ」
ソロモンの祈りも、まさにこの祈りだったのです。
今、私たちも自由にイエス様のお名前で祈り、父なる神様に親しく祈り願うことが許されています。
これはすごいことです。
自由に願うことが許されている。しかもその願いは必ず答えていただけるのです。

他者を貶めたり、隣人を苦しめるような祈りは聞かれるはずもなく、祈ることが間違っているのは確かです。
それならば、私は何をどのように祈ろうか。ソロモンの祈りに等しく、主のみこころを求めて祈ることをしたい。それも大胆に祈りたいものです。

愛には恐れがありません。ですから私は恐れることなく、私を愛してくださる主に大胆に祈り求めたい。

シャローム