「主は生きておられる。主は私を父ダビデの王座に就かせて、私を堅く立て、約束どおり私のために家を建ててくださった。アドニヤは今日殺されなければならない。」」 列王記 第一 2章24節

ソロモンが王となって、その治世の始まりの時に、ダビデが苦しんでいた時に彼の臣下たちがどのように振る舞ったかによって、ソロモンが彼らをさばいていく様子が記されます。
ダビデの知らない時に、2人の軍の長を殺害したヨアブは、その罪によって打たれます。

特徴的なのがアドニヤです。
彼は野心を抱いて、王になろうと画策をしましたが失敗をしました。
それなのに15節では、王位は自分の物であったのに、主がソロモンに王位を与えたと不満を口にします。
そして、ダビデの妻でありソロモンの母バテ・シェバに、ダビデの側女だったアビシャグを妻に欲しいと願うのです。
主の名前を出しながら、まだ、野心がなくなっていません。
いずれダビデの側女が自分の妻になっていることを訴えて、ソロモンを倒すつもりなのです。

しかし、ソロモンは見抜いています。
22節で、アドニヤは、側女ではなく王位を願ったほうがよいのではないかと答えて、願いを拒みます。
そして、主の名前を出しながら、主が立てた王に敵対するアドニヤは、死んで償わなければならないと断じます。

ここ2章では、ソロモンも含めて主に祈る姿はありません。
しかし、主の名前を出すのであれば、主のことばに忠実であるべきです。
アドニヤは主が王位を与えたと言いながら、不満を隠しません。
しかし、ソロモンが答えるとおり、主は生きておられます。生きて働かれる神なのです。

主のことばに従うことが第一であり、始まりであり終わりです。
主が生きておられることを信じていないアドニヤは、どこまでも自分の野心と知恵に頼る人であり、そのような人を主が王として用いることはないのです。

主は生きておられると、信じて行動することが今も大切です。
その人を主は豊かに祝福してくださるのです。

シャローム