「枝の中のいくつかが折られ、野生のオリーブであるあなたがその枝の間に接ぎ木され、そのオリーブの根から豊かな養分をともに受けているのなら、」 ローマ人への手紙 11章17節
ここで言う接ぎ木された枝とは、私たちのことです。
元の枝であり、根っこはイスラエルの民、アブラハムの子孫、子どもたちのことです。
神に愛されて選ばれたはずの彼らが不信仰となり、神に背いたので、神はその枝を折って、イスラエル人から見たならば異邦人である私たちをそこに接ぎ木してくださったのです。
主からの恵みによって与えられた救いの福音は、今は、接ぎ木された私たち与えられました。
もちろん、恵として与えられたのです。
ですから、私たちは誇ることはできません。イスラエルの民に対しても誇ることなどできません。
イスラエルが最初に選ばれて、それも神の恵みによって選ばれたので、そこに接ぎ木されることができたのです。
ですから、誇らなくて良いのです。
すべては神様からの恵みなのですから、救いが与えられたのも、接ぎ木によって与えられたのも、すべては神様の恵みです。
イスラエルの民、選ばれた民という存在が先にあり、そこに接ぎ木されるという恵みがあったのです。
恵みは徹頭徹尾、恵以外のものは入り込みません。
ですから、私たちは誇るより、感謝、喜ぶだけです。
そして、神様が定められた時には、元の枝であるイスラエルにも、救いがもう一度、広がっていくのです。
私たちは、計り知れない神様の大きな愛と恵みを受け取っているのです。
シャローム
