「人よ。神に言い返すあなたは、いったい何者ですか。造られた者が造った者に「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。」 ローマ人への手紙 9章20節

神が一方的に私をあわれんでくださり、いつくしんでくださったので、今の私があります。
罪が赦されて、神のこどもとしていただき、滅びではなく、永遠のいのちを持って、神とともに生きる道が与えられました。
全て、神様から発し、神様によって与えられた恵みの故です。
一方的な大きな、そして広い愛を注いでくださっている神様なのです。

その神様に、不正はあるのでしょうか。
ありません。
このいただいた恵みは、私の努力や能力によるのではなく、全て神様のあわれみによるのです。
全て。

ところが、私たちは様々な時に、様々な出来事において、神様に言い返すのです。
まるで自分の方が神様よりも正しいことを言っている様に、行なっているかのように、主張するのです。
しかし、全て神様からのあわれみと、いつくしみの中に生かされている私なのです。

何故、神様に言い返すのでしょう。
神様に言い返す私とは、いったい何者なのでしょう。
いつ、どこで、思い上がり、神様の愛を忘れてしまって、言い返すような私になったのでしょうか。
そんなことはありませんと、答えたいのです。
けれども、私たちがそのように神様に言い返す存在であると、聖書は教えます。
この20節のことばを忘れないようにしたいと、思う朝です。

シャローム